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2004.03.24

続・幸せな言葉を使いたい

異空間==お花畑: 幸せな言葉とその本質」というトラックバックに応えて(答えて、ではなく)。

幸せな言葉を使うのは、悪の感情、との対峙をしないのではなくて、悪の感情も善の感情も両方見据えた上で、それに対し、自分の魂から刻みだした幸せな言葉で応えたいから、です。

だから、見た目で云うと間違っていないかも知れない(笑

というのは、そういうことなんですね。


悪の感情に対し、悪の感情やそれに連なる言葉で対応する、つまりは、武器に対し、武器で応じるようなことを完全には否定はしませんが、それって最後の手段にしておきたいのです。

テロに対し、戦争を持って応じる不幸せさを自分で演じたくはないですし、私がそれをしてしまったときは、何かを伝えるということが目的ではなくなった、ということでもあります。

相手を叩きのめすことを目的とするくらいなら、それこそ、目を閉じ、対峙することをやめてしまう方がマシです。
成功するにしろ、失敗するにしろ、それで私が得るものは冷たい敗北感しかないことを何度も味わっていますから。


ちなみに、罪、とか、悪、とか、そういう言葉の字面で幸せ、不幸せ、ということを云うつもりはありません。
どんなにマイナスイメージの強い言葉でも、使い方やタイミングでは、幸せな言葉になると思います。

言葉狩りは大嫌いなので(笑


だから、ハラグロ、とか、_| ̄|○、とかもオッケー(_| ̄|○って言葉か? (^^;

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受信: 2004.03.26 02:57

コメント

>どんなにマイナスイメージの強い言葉でも、使い方やタイミングでは、幸せな言葉になると思います。

こんなことを言うから、欺瞞と言われるんですよ。なんでもかんでも幸せ、ですか?そんなことはないでしょう。幸せでいたいと思いつつ、自分の中から直接出てくる悪の部分に苦しみつつ、それでも幸せを追い求めるのが人間でないのですか。

悪の部分ですら幸せと言い切ってしまう、それは私には充分欺瞞に感じますがね。

投稿: おはる | 2004.03.24 16:35

いかにも私が「悪には悪の感情を持って、相手を叩きのめせ」という主張をしたかのように取れるが、そんな主張をした憶えはどこにもない。

ただ、自分の中の悪の感情を否定していることに気付かなくてはならない、ということを書いたに過ぎない。

それに対し

>相手を叩きのめすことを目的とするくらいなら、それこそ、目を閉じ、対峙することをやめてしまう方がマシです。

と言われるようなことを書いたことは決してない。

ただ、権威主義に則り相手の痛みも分からないような輩については今までも噛み付いてきたしこれからも噛み付いてゆく。痛みを知る者として、痛みを憶える者の側に寄りそう者として。

投稿: おはる | 2004.03.24 16:45

Tigerさんこんにちは。
幸せな言葉をいただいたときは涙が出てくるけど
お世辞を言われたときは?・・・やっぱり言葉の裏って
わかってしまうときがありますね。
だから寅さんのファン(^^♪

投稿: ゆうな | 2004.03.24 17:22

おはる さん、ども

自分の中の悪の感情を幸せな言葉を紡ぐだけで消し去れるわけでもないですし、悪の部分ですら幸せである、とも云ってないです。

そんなことを云ったら偽善的どころか、はっきりと偽善です(笑

言葉は人の思いや意志を伝える道具です。
使い方によって、悪にもなるし、善にもなります。

言葉自体が悪や善な訳ではなく、人がそのように使うから、善や悪になると云っているのです。

「嫌い」という言葉だって、悪を否定する「嫌い」と、善を否定する「嫌い」は、全く意味合いが違うでしょう。

そういうことを云っているのです。

そして、私が幸せな言葉で応えたいというのは、私は悪の感情のままに、悪意を持って言葉を出来る限り使いたくない、ということです。

自分の悪意には、自分がまずは立ち向かうものだと思っています。

それでもどうにもならないときには誰かに助けを求めるかもしれませんが、助けを求めるのに、もしくは、自分の悪意を自分の中から追い出すために、自分の悪意を乗せた言葉を誰かにばらまくような方法は避けたいのです。


さて、私は、おはるさんが、私や私の文章について、見えたこと、思ったことの記事に「答える」ではなく、「応える」という言葉をわざわざ使いました。

それは、トラックバックを貰った記事が、非常に強い断定的な文体であることも然りながら、内容的にも、おはるさんが私に何かを尋ねたわけではなく、おはるさんは、私の記事を引用しつつ、私の記事に対し、このように思った、このように主張する、という記事だと読んだからです。

何かを尋ねられたのなら答えもしますが、そうではないようなので、同意できる部分もあれば、同意できない部分もありましたが、それを一つ一つ「それを私がどう解釈して、それに対し私はどう考える」というようなことをせず、「私自身のこと、私の思い、望み、考え方」のみを、「続」という形で書くという選択をしたわけです。

ですので、「そんな主張をした憶えはどこにもない」のは当然だと思います。

私も自分自身のことは書きましたが、「おはるさんがそんな主張をした」ということは、上記の通り書いた覚えがないのですから (^^;


もう一つ。蛇足かも知れませんが、このコメント(の前半)も、おはるさんがそういうことをしている、という部分は一切なく、そういうことを「私」はしたくないということだけを書いていますので、お間違えなく。

投稿: Tiger | 2004.03.25 02:58

ゆうな さん、こんにちは

本当に心にもなく、ただただ、己のためにだけに使う辞書の通りのお世辞と、相手を慮って、お世辞という形を借りたメッセージとがあるような気がします。

言葉の裏に秘められたもの。

分かって嬉しいとき、分かりたくなかったとき、両方ありますよね・・・ A^^;

投稿: Tiger | 2004.03.25 03:04

Tigerさん。

結局このようにコメントという形でフォローしなければ真意が通じきらないのは、言葉が単に綺麗な形で見えるように構築したことの弊害ではないかと、そして文章で気持ちを伝える上で気持ちがぶつからないようにという見ようによっては嫌なテクニックを身につけてしまった者の哀切にしか、私には感じられないのです。

「答えるではなく応える」という言葉だけで通じるほど私達は一心同体ではない。気持ちを伝えたければその場で伝えたいことをきちんと書くべきで、「応える」という一語に全てを託してあとは伝わるだろうというのはやはり思い込みにしか過ぎない。

結果として言葉があちらこちらに飛んでしまうような文章に仕上がったとしても、見た目で綺麗な言葉よりは余程伝わるものがあると私は信じています。

テクニックに溺れる。そのことに気付かなくてはならないのではと思うのです。

投稿: おはる | 2004.03.25 18:48

おはる さん、ども

本当に通じているのかなぁ (^^;

おはるさんに向けてのメッセージなら、おはるさんのところでコメントします、と前にもおはるさんには書いたと思うんですが。

だから、伝わると思いこんだわけでなく、コメントではなく記事にした時点で、最初から、おはるさんだけにきちんと伝わることを目的としていないんです。

おはるさんだけでなく、この記事を読んでくれた様々な人の中に、10%でも20%でも伝わって、その人なりの呼応する思いが浮かべば、それで良いんですよ。

もちろん存在するわけもない一心同体の誰かを勝手に思い浮かべて、何かを略したわけではなく、記事に描いたとおりのことをしているだけです。

したくないことを無理矢理自分に強いてまで、100%、伝わることを目指すつもりはないのです。

そんなわけで、おはるさんがコメントくれた時点から、初めておはるさん向けに答えているわけだから、それで、もし本当に通じたんなら、それで間違いはないんです。

それなのに、こういうコメントが返ってくると云うことは、まだおはるさん向けにきちんと書けていないんだろうなぁ (^^;)ゞ

投稿: Tiger | 2004.03.25 21:21

Tigerさん。

伝えるということに対して、

>10%でも20%でも伝わって

ということが頭にあるということは、言葉を裏返すと「この書き方では10%、20%しか伝わらないかも知れない」という意志がTigerさんの中にあることのまさに証明だと思うのです。

そんな文章で伝わることを期待しても所詮無理でしょう。もちろん私含めて伝わらない訳です。

コメントでも記事でも関係ないことです。自分の中に、「10%、20%(という諦め)」がある限り、どんなにやりとりしても理解しあえることはないと思いますよ。

伝えたかったら100%、相手のことを思わなければ。それは私であり私以外の誰かである。私に対しても100%、私以外にも100%。万人向けに書くなら100%伝わらないかも知れない。そういうのは無責任だと思います。

最も、Tigerさんは「そんな自分でも許す」んでしょうけどもね。

投稿: おはる | 2004.03.25 22:30

追記。
自分なりの100%の文章でも10%20%しか結果として伝わらなかったらそれはそれで仕方ないこと。しかしTigerさんの主張からは、最初から10%20%しか伝わらないかも知れないという諦めが伝わってきたので、それでは無責任だと言ってるのであって、実は100%で書いているんだよと言うなら問題はない訳です。

しかし結果的には私には伝わっていないようです。どうしたらいいんでしょうね。

投稿: おはる | 2004.03.25 22:49

おはる さん、ども

「実は100%で書いているんだよと言うなら問題はない」ということなら、どこも手抜きしているわけではないので問題解決ですね(笑

最初から10%や20%しか伝わらないのだから、50%でいいやっていうことではなく、100%を重ねていっても、伝わらないときには伝わらない、つまり、仕方ないわけです。

仕方ないことを知っていることが諦めであり、無責任だというのなら、それは「知」の罪とでも云いますか(笑

私は、知っているけれど、知っていることを隠さず、諦めずに、自分のやり方ではあるけれど、100%を重ねるというのが責任だ思いますね。

それでも伝わらないのは、結局の所、私が伝えているものが、おはるさんが欲しいものと違うから、伝わらないのだと思います。

おはるさんが欲しいものはいろいろと思い当たりますが、しかし、それを私はあげることは出来ないと感じています。


八百屋に魚が欲しいと云われても、八百屋は困ってしまうわけです(笑

まあ、私なりに、そこそこの品揃えは頑張って、スーパーマーケットくらいにはしているつもりですが、ティファニーのリングをくれ、と云われても、それはできない相談なわけです。

いや、私がティファニーに行ってリングを買ってくれば出来ますが、それは勘弁してください(笑

スーパーマーケットで100%満足して頂ける人もいれば、いくらか買うものはあっても、足りないものがあって余所へ行く人もいます。

私という、スーパーマーケットの中に何が売っているか知りたかったら、歩き回ってみてください。そこに欲しいものが見つからないなら、欲しいものが思い浮かんだときに、また来て貰えればいいのです。

いや、ここで買いたいんだから揃えてよ、と云われるのは、嬉しいけれど、「できること」と「できないこと」(やりたいこととやりたくないこと)は、やはりあるのです(笑

それを実現できないのは無責任といったら、それは幾らお得意さんと云えども、顧客の横暴でしょう。

相手に求めすぎ、だと思うし、私なら、そんなことを要求することはできないです。

だから、私が欲しいものと違うものをおはるさんがくれたとしても、おはるさんから貰えるもので、私は納得しています。


別のコメントで、立ち位置ということを書きましたけれど、すべての人がいろんな立ち位置にいて、私にも私の立ち位置があって、そして、同時にすべての立ち位置に立つことは出来ない以上は、見えるものも違うし、見えるものが違えば伝えられるものも違うわけです。

私がおはるさんの立ち位置に行けば、おはるさんの見えるものが私にも同じように見えるだろうと思うけれど、しかし、それはその一時だけで、おはるさんがずっと見つめてきたものは私の中にはないわけです。

そして、それはおはるさんも同じ事です。

更に云えば、おはるさんの立ち位置に移動することは私の望みでもないわけです。

だから、私の立ち位置では、こんな風に見えるよ、こんな風に見えてきたよ、と云うことは出来ますが、同じものを見せてあげることは出来ません。

同じものを見たいなら、同じ立ち位置に立て、というしかないわけですが、それも私の望みではないのです。

私が見続けてきたものを、ビデオを見せてあげることは出来ないですし、見せたとしても、それは所詮ビデオでしかありません。

よほど極端で単純なものならともかく、複雑で微妙な気持ちをあるがままに伝えると云うことは、間違いなく限界がありますよ。

100%相手のことを思えばできる、というなら、なぜ、おはるさんの思いは私に伝わらないのでしょう?どうして、おはるさんの望むものが、私から出てこないんでしょうね?100%でないからですか?テクニックの問題ですか?

それとも間違いなく伝わっているけれど、私が受け取る気がないとか、私に原因がありますか?

もし、そうだとしても、つまりは相手に原因があれば、「100%相手のことを思えばできる」というのは限界があることになります。


そういうことを私は感じているから、ただ伝えることより、相手の中に思いを浮かばせる、というアプローチを選択し、それに集中するわけです。

その結果として、伝えたいことと違うものが相手の中に浮かんだとしても、それはそれで仕方ないと云うより、それで良いと云うことなんですよ。

やりたいことについては、例え、結果が出ないと分かっていても、出来ることだけでも一生懸命やるのは楽しいですが、やりたくないことをやりたくないまま一生懸命やれと云われても、心底、出来るかと云えば、少なくとも、私には出来ないです。

やりたくないことを、やらなければならないなら、やりたくないことを、自分のやりたいことに、まずは変える、もしくは自分が変わる、それが私のやり方です。

だから、私にとって100%を出せるやり方が「幸せな言葉を使いたい」ということで、それを迂闊に変えたら、かえって無責任な結果になってしまうのです。

他に私が100%を出せる方法が見つかったなら、やり方を変えるでしょうけれど、少なくとも、悪の部分とか悪意とか、そういった言葉とかを伝えることには100%を掛けることは出来ないですからやりません。

それは出来る自信のある人、やりたい人に任せます (^^;

私のスーパーマーケットの店頭には並べません。
(こっそりと人を見て出すことは否定しませんが A^^;)

※あ、そういうものをおはるさんが望んでいると云っているわけではないですからね。

投稿: Tiger | 2004.03.26 13:04

ここまできてやっと、Tigerさんの気持ちは私に伝わりました。最終的にここまで来ることが出来れば、私から言うことはなにもありません。

投稿: おはる | 2004.03.26 17:29

そりゃ、よかった。お互い、長い道のりでしたね・・・ (^^;

投稿: Tiger | 2004.03.26 19:56

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